
【経歴】
愛知県生まれ
19歳の時に上京
サロンドシャポー専門学校卒業
帽子会社に就職
4年勤めたあと独立し「アトリエグリコ」を設立
子育てのため休業 ちなみに子供は5人です(笑)
子育てが落ち着き「Waganse」と名前を改め、再チャレンジ。
【帽子デザインおよび製作実績】
・アトリエグリコ時代
イヴ・サンローランプレタポルテ、ディオール、ビルブラス、ソニア・リキエル、ジョコンダ、沢田研二、サザンオールスターズ、河合奈保子、前田美波里、甲斐よしひろ、ヴィーナス、ラッツ&スター、キャノン、日航など。その他ウェディングやブティック、アパレル会社依頼の帽子デザインや製作も多数実績あり。 (敬省略)
・Waganse
笑っていいとも、ピエール・バルマン、杉本彩など。 (敬省略)
【生い立ち】
~ 私が小さいときは・・・ ~
私は5人兄弟の4番目に生まれました。小さい頃から、一番上の姉が子供服のデザイナーをしていて、当時は貧しい時代だったので、姉が持っている海外の雑誌を見ては「いつか自分も・・・」と小さいながら夢見たものです。
~ 帽子デザイナーの仕事と私の出会い ~
私が高校の時、丁度フォークロアーの洋服が流行っていました。その時、ふらりと入った帽子屋さんの方にこんなことを言われた。「帽子自分で作れるわよ」この言葉が私と帽子の出合いとなったのです。
~ 19歳のときに上京 ~
あの時に言われた言葉がキッカケで上京し、サロンドシャポーを経て帽子会社に入社しました。
~ たくさんの人との出会い ~
その頃から同時にプレスもやっていて、たくさんのスタイリストや雑誌社の方と出会い、フリーの仕事が頂けるようになりました。無我夢中に全ての仕事を引き受けて気がつけばコマーシャルや雑誌のアンアン、芸能人の仕事も頂けるようになっていました。特に子供の頃から大ファンだったジュリーのお仕事が来た時は、天にも上る気持ちで、頭のサイズを測る時の手が震えてなかなか測れなかったのを今でも覚えています。その他にも、河合奈緒子さんの帽子担当、サザンオールスターズさんの紅白歌合戦の帽子を担当させて頂いておりました。シャネルズ、ラッツ&スターさんとは年齢や生年月日、血液型まで同じで、よく新宿のルイードで蝶ネクタイ、ポケットチーフなどを作らせて頂いたり、とても仲良くさせていただいていました。当時を振り返ると、既に結婚をしていた私は主人やお友達に支えられながら頑張れたんだなぁとしみじみ感じています。
~ 子供ができて独立 ~
それから子供が出来たのをキッカケに帽子会社を退職し、アトリエグリコを設立しました。子育てとの両立から、短期納品のお仕事は引き受けられなくなりましたが、お仕事の依頼も徐々に増えはじめ、サンローランの展示会やショーの帽子作りをメインとして、ビルブラス、ディオールのデザイナーの帽子作りに専念していました。当時は、よく打ち合わせに小さな子供を連れて行ったり、今思うと本当に大変なことをやっていたなとつくづく思いますが、たくさんの方に暖かく見守って下さって心から感謝しています。昼は子育て、夜は帽子作りといった生活が何年も続き毎日睡魔と闘いながらでしたが、子育てに疲れた時も、帽子を作るその時間は私にとっては貴重で、唯一自分に戻れる時間でもあり、そんな楽しい時期でした。
~ 突然のクローズ・・・ ~
そんな中、私が担当していたプレタのサンローランがクローズされることになりました…。日々苦戦しながら帽子を作り続けてきたものが終わってしまい、心の中にぽっかりと穴が開きました。「しばらくは帽子作りを休もう」その時そう思いました。
~ 再び帽子の世界へ ~
・・・・・それから2年・・・3年・・・・・主婦だけの生活を続けるうちにどれだけ帽子を作ることが自分にとって大切だったか気づき始めていました。そして4年・・・ある日、友人から帽子の依頼がありました。正直その時、仕事から離れてブランクがあり「大丈夫だろうか…」と不安な気持ちの方が大きかったです。しかも、その仕事内容も今までとは違っていて、帽子の中でも「布はく」という分野だったのです。「得意な分野ではない分野で必要とされている・・・。」そんな戸惑いもありました。しばらく悩んでいましたが、考えるうちに「やっぱり帽子をまた作りたい」「自分を試してみたい」そんな気持ちがふつふつと沸いてきました。それからは、布の帽子との戦いでした。現役だった当時に交流があった帽子関係の方達は現役を退いていたので、なかなか道筋が開けなかったり…。それでもたくさんの方々のご協力もいただけ、帽子個展も開けるようになりました。毎日試行錯誤の繰り返しですが、ただ今、本気で奮闘中です!どうか、今後にご期待下さい!! 簡単ではありますが、プロフィールはこんな感じで宜しいでしょうか(^^;)なにせ文章を書くのがへたくそなもので…(笑)
イヴ・サンローランの帽子を20年間作り続けた 帽子屋 Waganse の帽子デザイナー Glico の息子として、幼少からクリエィティブな環境にて育つ。Waganseの代表として活躍しつつ、自分独自のブランド 「 天乃川 」 を展開する。
小さな時から絵が得意で、小学校1年生のときにはドラゴンボールの絵を描くと周りに人が集まる次第。似顔絵を描けば本当に本人が書いたか疑われるほど。でも絵の具が苦手。こんな感じにクリエイティブの才能を開花させていくと思いきや、高校を卒業後、自分探しという名のフリーター生活を4年すごす。同世代の就職に焦りを感じ、恐る恐るも社会へと足を踏み込み、求人広告会社へ営業として入社。営業へ行った先の社長さんが実はバイト先の先輩だと知り意気投合。新たに求人広告事業を立ち上げるということでお誘いを受け転職。そして、泊り込みの怒涛の数ヶ月を過ごしたあと、社長と社員の求めているものの違いから退職。次の仕事を見つける間に、WaganseのHPを作って欲しいと母親から言われて作り始めたことが全ての始まりです(HPも作れるのもフリーター時代があったからこそ?)。この帽子とアクセサリーの仕事は、昔から何か大きなことをしたいと思いつつもその手段がわからず試行錯誤する中で自分を見失いそうになりながらも見つけた最高の仕事です。
「人生1度きりだから死ぬ時に絶対後悔したくない。1度きりだから自分にしかできないおっきなことを成し遂げて他の人には味わえないような感動と幸せを手に入れたい。同時に自分の大切な人、関わる人を豊かにし、幸せにしたい。だからこそ現状に満足せず自分の価値を高める努力をする。こんな風に毎日を「一生懸命」「アツく」生きたい!」